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東京地方裁判所 昭和31年(特わ)71号 判決

被告人 株式会社高橋愛次商店

代表者 高橋愛次 外五名

主文

被告会社高橋愛次商店、同旧第一通商株式会社、同江商株式会社、同三菱商事株式会社を夫々罰金五万円に、同金商株式会社を罰金三万円に、被告人馬廼光を懲役一年及び罰金百万円に処する。

但し、馬廼光の懲役刑及び各被告会社の罰金刑は本裁判確定の日から二年間その執行を猶予する。

馬廼光が右罰金を完納することが出来ない時は金二千円を一日に換算した期間同人を労役場に留置する。

訴訟費用中証人滝川恒治、金子恒治、平賀義彦に支給した分は三菱商事の負担、通訳人に支給した分は馬廼光の負担とし、証人村西淳一、大畑哲郎に支給した分は全被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一  被告会社高橋愛次商店は東京都中央区日本橋江戸橋三丁目七番地に於て貿易業務を営んでいるものであるが、右被告会社取締役宮田二三夫は同会社の業務に関し、昭和二九年五月二二日頃から昭和三〇年三月二九日頃迄の間前後七回に亘り別紙犯罪一覧表(一)記載の通り右同所外一個所に於て法定の除外事由もないのに非居住者であるブラジル国スツセル商会のために、居住者である被告人馬廼光及び合資会社中村貿易商会に対し、合計一八九一万六一五六円を支払い、以て非居住者のためにする居住者に対する支払をなし

第二  被告会社旧第一通商株式会社は、東京都千代田区丸ノ内二丁目一八番地に於て貿易業務を営んでいたものであるが、右会社経理部長福永次郎等は同会社の業務に関し、昭和二九年五月二七日頃右同所に於て、法定の除外事由もないのに、非居住者であるブラジル国スツセル商会のために、居住者である被告人馬廼光に対し、六八〇万円を支払い、以て非居住者のためにする居住者に対する支払をなし、

第三  被告会社金商株式会社は東京都中央区日本橋茅場町二丁目八番地に於て貿易業務を営んでいるものであるが、右会社取締役井上丹治等は同会社の業務に関し、昭和二九年六月一一日頃及び同年同月一七日頃の二回に亘り、別紙犯罪一覧表(二)記載の通り、右同所に於て、法定の除外事由もないのに、非居住者であるブラジル国ゴンパーツ商会のために、居住者である被告人馬廼光に対し合計一六八五万〇八四六円を支払い、以て非居住者のためにする居住者に対する支払をなし、

第四  被告会社江商株式会社は大阪市東区横堀一丁目一一番地に於て貿易業務を営んでいるものであるが、右会社綿糸布部綿糸布課長神原武雄等は同会社の業務に関し、昭和二九年七月二七日頃東京都港区芝田村町二丁目一五番地雄徳物産株式会社に於て、法定の除外事由もないのに、非居住者であるインドネシア国エヌ・ヴー・シンドウ社のために居住者である被告人馬廼光に対し、三三七万六〇〇〇円を支払い、以て非居住者のためにする居住者に対する支払をなし、

第五  被告会社三菱商事株式会社は、東京都千代田区丸の内二丁目一三番地に於て貿易業務を営んでいるものであるが、右会社非鉄金属部次長横山栄二、平賀義彦は同会社の業務に関し、昭和二九年九月一〇日頃右同所に於て、法定の除外事由もないのに、非居住者であるブラジル国リオ・インベツクス商会のために、居住者である被告人馬廼光に対し五三八万八〇〇〇円を支払い、以て非居住者のためにする居住者に対する支払いをなし、

第六  被告人馬廼光は、本邦に居住する者であるが、昭和二九年五月二二日頃から同年九月一七日頃迄の間前後一〇回に亘り別紙犯罪一覧表(三)記載の通り東京都中央区日本橋江戸橋三丁目七番地被告会社高橋愛次商店外四個所に於て、法定の除外事由もないのに、右高橋愛次商店外五社から非居住者であるブラジル国スツセル商会外四名のためにする支払いとして合計四五八四万七〇四九円を受領し、以て非居住者のためにする居住者に対する支払の受領をなし

たものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

本件各弁護人の弁論中には共通の論点があるので、その部分に関しては一括して当裁判所の見解を示し、其の後で各弁護人独自の主張に関して判断することにする。

第一構成要件該当性を欠くとの主張(外為法第二七条第一項第三号に違反しないとの主張)について

この主張は高橋愛次商店弁護人大山菊治同菅沼漠及び旧第一通商弁護人河本喜与之、同定塚道雄の弁論要旨に最も明瞭に現われて居り、尚他の弁護人の論旨中にもその趣旨が見受けられるところであり、其の要点は結局外国為替及び外国貿易管理法(以下外為法と略称する)の目的精神は要するに、外貨の出入を管理し、輸出に依り入つて来る外貨は外国為替銀行等の手中に集中しこれを最も適当と考える方面に使用することであり従つて外国為替銀行等の手中に入るべき外貨が逃げることを防止することがこれを運用するに当つての主眼であるところ、本件に於ては日本の商社の輸出に依り契約額以上の余分な外貨が後記の様な貿易上己むを得ない事情によつて送られて来て、これを外国商社の為に預つていたもので既に入つて来た外貨は総て外国為替銀行等の手に集中せられているのであるから、仮令外国商社の指図に依り日本国内で円で第三者に支払いをしたとしても毫も前記外為法の精神にも立法目的にも反しないものであつて従つて法第二七条第一項第三号の構成要件に当らないと言うにある。

確かに本件の様な所謂預り円の場合は、当裁判所が別に審理判決した所謂預け外貨の場合、即ち所謂低価取引に依つて生じた差額を日本に於て円貨に依つて支払を受ける場合と異り(この場合は本来入るべき外貨が入らないことになるから外為法の期待する外貨の集中が果されないことになる)既に契約額以上の外貨が入り、外国為替銀行等の手に集中せられているのであるから、外為法の目的は一応達せられている様に見える。しかし外為法の目的は決して外貨の集中一つだけではないことに注意する必要があるのであつて、結局は輸出入の貿易管理と竝んで、外国為替を管理することに依り「外国貿易の正常な発展を図り、国際収支の均衡、通貨の安定及び外貨資金の最も有力な利用を確保」することにあるから、単に外貨の集中だけを見ることなく、もつと広い視野に於て外国為替管理の本質、目的、効果等を考えなければならない。

ところで外為法第二七条第一項第三号は「非居住者のためにする居住者に対する支払又は当該支払の受領」は「この法律の他の規定又は政令で定める場合を除いては何人も本邦において……してはならない」と概括的に規定しているが故に、外為法又は政令で除外例を認められない限り、矢張り制限禁止を受けているものと解する外ないのであつて(斯様な概括的規定が罪刑法定主義に反するものであるかどうかについては後に説明する)外為法全体の体系から言つても一応全部制限、禁止の網をかけ、個々の差支えない場合にその制限、禁止を解除して行く方針をとつている以上、左様な解釈をするのが、立法の精神に副うものと言うべきである。(尤もこの立法のし方が同法第二条の趣旨及び現在の経済界の実情に鑑みて適当であるかどうか及び若しこの規定が現在の経済界の実情に適合しないものとすれば量刑上にその点をいかに反映せしめるべきかは別問題であつてこの点は後に説明する)

而して斯様な厳格な解釈態度は外国為替管理の本質、目的、効果から見て必ずしも全く理由のないものではないことは、証人村西淳一の証言に依つて窺知し得るのである。

即ち、若し預り円を日本地内に於て非居住者のために居住者に対して支払い、又はこれが支払を受領することが、外為法第二七条第一項第三号に触れることなく、全く自由であるとするならば、第一には公定相場が守られない可能性があるから外為法の期待する為替相場の維持が困難になると言う弊害があるし、第二には、硬貨と軟貨の振替が行われる可能性が生ずる為に本来入るべき硬貨が入つて来ないと言うことになり結局外貨の獲得、集中が妨害される弊害があり、第三には、チエツクプライスのある品物の輸出については、チエツクプライスを割つた取引が行われ易くなり、国際的なダンピングの非難を受けると言うことも弊害として考え得られる等種々の弊害が考えられるからである。

惟うに外為法第二七条が第一項の第一号に於て先づ「外国へ向けた支払」一般を規制し、更に同第二号に於て外国へ向けなくとも「非居住者に対する支払又は非居住者からの支払の受領」を補足的に規制し、更には直接に非居住者に支払い又は非居住者から支払を受けなくても「非居住者のためにする居住者に対する支払又は当該支払の受領」(第三号)を規制し、果は「非居住者との勘定の貸記又は借記」(第四号)さえも規制せんとしているのは、偏に一切の非居住者との支払関係、受領関係又は貸借記等をも先づ以て遮断し、外国為替管理令第一一条に依つて原則として主務大臣又は日本銀行又は外国為替銀行の許可、承認等の下に認められ(第一項)又は特別の法令に依つて許可、認可又は承認を得た(第二項)所謂オーソライズドチヤンネルに依つてのみ外貨の支払、受領関係を維持し、且つ一切の債権に付回収義務することに依つて、(法第二六条)外貨集中及び外貨管理の目的を達せんとしたものと言うべきであるから、このオーソライズドチヤンネルを通じない本件の預り円の支払い、受領は勿論、所謂預り円の存在さえも外為法第二七条第三〇条の存在を前提とする限り、そのまゝの状態に於ては所轄の官庁(主務大臣、日本銀行、外国為替銀行)の許可、承認なくしては許されないものと言うべきであり、左様に解するについて十分の実質的理由があるものである。

弁護人等は所謂預り円の場合は、既にそれに相当する外貨が日本に入つて来ている場合であるから外為法第一条の目的には反しないと言うけれども外為法に依る外貨の管理は決して外貨が入つて来ることをのみを期待しているのでなく、其の他に尚為替相場の維持とか、オーソライズドチヤンネルを通すことに依る外貨移動情況の確実にして明瞭な把握とか、外貨の国家目的に沿つた運用とか、国際収支の均衡等を期しているのであるから、単に外貨が入つているが故に預り円の支払は一切差支ないと単純に論ずることはできないのである。

論者は外貨が入つていないのに、日本円を非居住者の為に居住者に支払つてやる場合のみが、非居住者にサービスをしていることになり、従つて非居住者のために支払いをしたことになるが、本件の様に外貨が自然発生的に我国に入つている場合には、円貨を非居住者の指図に依つて、彼の代理人に支払うのは、非居住者に戻したに過ぎないのであつて外為法第二七条第一項第三号に該当しないと言うけれども、これは前記の様な外貨管理の特質を全く理解しないで、日本内地に於ける居住者相互の間の取引の場合を想定した単純な議論で到底採用し難い。

(尚論者の中には例えば南米の移民がクリスマスプレゼントとして日本の知人にドルを送金して来た場合とか、アメリカの金持が日本の知人に贈与としてドルを送金して来た場合に外国為替銀行がこれを日本円に替えて支払をしてやることは許可、承認等を要しないと解すべきであるが、その場合と預り円の支払とは異ならないから預り円の支払も許可は要しないと主張する者があるが、仮に右の様な場合が許可を要しないものとしても、それは、送金した非居住者は、送金が受領せられると同時にその金員に対する支配権を完全に喪失し、(即ち双方は経済的に遮断せられる)取替えた円貨は日本の居住者の為に支払はれるに過ぎないから、依然として非居住者が預り円の上に支配権を持つてこれを資金として使用し得る本件の場合(即ち双方は経済的に結びついて資本移動の意味を持つ)とは全く事情を異にするものと言わねばならない。)

定塚弁護人は外為法第二七条第一項第三号は空白刑法であるから罪刑法定主義に反するし、且つ「絶対にかつ明瞭に必要な刑罰」を定めたものでないから憲法の精神に反する法律であり、制定しても効力のない規定であると言うけれども、行政刑法に於ては行政目的が複雑多岐である為に基本的な規定は極めて概括的に規定し、その具体的内容は施行法令を通じて明確化して行く方法をとる外ない場合があり得るのであつて、外為法の場合もその一つとして、(現在は兎も角)施行当初に於ける強い管理形式を必要とした社会経済情勢に於ては己むを得なかつたものと言うべきであるし、その当時としては法第七〇条は「絶対にかつ明瞭に必要な刑罰」でなかつたとも言い得られないから憲法の精神にも反しないし又罪刑法定主義に反するとも言い得ないであろう。従つてこの点から被告会社の無罪を認定することは出来ない。

第二、犯意がないとの主張及び違法の認識がないとの主張について

この点の主張は高橋愛次商店関係の大山弁護人、三菱商事関係の正木弁護人、旧第一通商関係の定塚弁護人等の弁護中に強く現われているところであるが、定塚弁護人の論旨は法人には犯罪能力がないと言う一般論を基礎として居り、その他の弁護人の論旨は法人の業務執行者又は従業員であつた具体的な個人について、所謂犯意がなかつたと言う趣旨であり、若干その趣を異にするから、先づ定塚弁護人の一般論につき判断し、次いで他の弁護人の論旨について判断する。

法人に犯罪能力があるか否か又法人に犯罪能力がないとすれば、所謂両罰規定に於ける法人の刑事責任は他人の行為に基く責任と解すべきか等の問題については、汗牛充棟もただならぬ論説があり、既に諸家に依つて論じ尽されたものの様で、こゝに深く立入る余裕もなく又その必要もないのであるが、輓近社会経済の発展とともに、法人等組織体の活動する分野は拡大の一途を辿つて居り、その強大な活動力は個人の到底匹敵し得ない尨大なものになつた結果として、社会秩序又は経済秩序の維持の為には、単に法人等の業務執行者又は従業員等個人を処罰するのみでは到底取締目的を達成せられない場合(例えば個人処罰のみに終るならば、犠牲者を立てることに依つて、法人等はその禁止を免脱することが出来ることになつてしまう場合がある)もあるから、それ等個人を罰すると同時に法人等をも処罰する必要が生ずることは看易いところであり、昭和の初期から幾多の立法が左様な規定を設けるに至つた。

而して従来の大審院の判例が、法人の犯罪能力を否定して来たのは、刑法を中心とした理論的な考察の結果であることは理解し得られるが、さればと言つて、大審院が所謂両罰規定に基く法人の処罰が許されないと論断することなく、これが処罰を認めて来たのは、矢張りその必要があることを認めたからに外ならないものと解せられるところ、学説上もこれを他人の行為に基く法人の無過失責任なりとし、或は法人の従業員に対し違反行為を為さない様に注意すべき法人の義務の懈怠に基く過失責任なりとし、説くところ、やゝ趣を異にするも、結局法人の責任を認めるのを正当とする学説が存在するのも、つまるところ現在の社会経済状態に於ては取締の必要上左様な両罰規定の必然性を肯認するからに外ならないのである。

当裁判所も亦その必要を認めるし、法人の処罰が、法人の犯罪能力を認めるものなりや否やの議論は扨置き、それが罪刑法定主義を定める憲法の規定にも反することはないと解するから、本件の各商社の処罰は豪も憲法に反することはないと解するものである。尚論者は行為者自体を訴追することなく、法人のみを訴追したことは起訴便宜主義の乱用であると主張するけれども、本件の様な外為法の違反事件に於ては、行為の経済的利益の帰属者は法人自体であるから、法人を訴追するのは当然であり、従業員を敢て訴追しなかつたのは、若干取扱上問題のあつた本件の様な事案に於ては、従業員を訴追しないのが本人の為でもあり、又一般他戒の意味では、法人処罰のみを以つて足るとの検察官の意向が推測され、左様な見解にも一理あるから、通例の場合の様に、行為者を起訴すると同時に、法人を起訴しなかつたからと言つて違法なりとすることは出来ないものと言うべきである。何故ならば刑は双刃の剣であるから必要にして十分な最少限度にとどめるべきは、刑事司法の鉄則であるからである。よつてこの点の弁護人の主張は採用しない。

次に個々の具体的行為に犯意又は違法の認識がなかつたと言う主張について案ずるに、所謂「罪を犯す意なき行為」は罰しないのが原則であるから、犯意が必要であることは勿論であるが、又他面「法律を知らざるを以て罪を犯す意なしと為すことを得ざる」のはこれ亦原則であつて自然犯、法定犯を間わず一般に違法の認識は必要でないと言うのが従来の大審院、最高裁判所の判例であるから、本件の場合に於ても、非居住者の為に居住者に支払い又は当該支払を受領すると言う事実の認識があれば足り、それが外為法に違反すると言う点の認識は必要がなかつたものと言うべきである。

この刑法第三八条第三項の法意については過失を罰する趣旨を規定したものとする学説もあるが、その学説の当否は別として、行為者に全く責むべき点がない場合には、この条文に依り行為者を処罰することには若干の無理があるが、本件各商社の場合、行為者達は、仮令大学を出たての若い人々であつたとしても、外国貿易に関する仕事に従事する立場にある人々であるだけに、外為法の条文は十分に研究して行動する必要があるのであつて、外為法第二七条第一項第三号には「非居住者の為にする居住者に対する支払及び当該支払の受領」が原則的に禁止せられていることは明らかであるから、円払については多少の疑問があつたとしても、疑問があればそれを所轄官庁等に問合せるだけの注意は必要であつたものと言うべきである。

木内信胤証人の証言中には、預り円の支払は悪いことだと言う認識が起らないのが当り前であると言う証言もあるけれども、一般に外国為替が厳重な統制を受けていることは常識であるところ、預り円の支払が自由に行われることになれば、既に前に述べた様な諸弊害を生ずることに依つて、統制が乱されることになるのはこれ亦常識でも推測に難くないのであるから、預り円の支払が許されたる行為であると誤信するについて相当の理由があつたものとは言うことを得ないものと解する。

第三、期待可能性がないと言う主張について

この点は各弁護人が極力主張するところであるが、期待可能性のない理由として論者が挙げるところは幾つかあるから、その各々について考えて見なければならない。

(1)  先づブラジルの外国為替管理法は、ブラジルの商社が国外に外貨勘定を持つことを認め、それを奨励し、課税もしない程優遇しているから、日本の輸出業者が、ブラジルの業者の預り円操作を断れば、競争の激甚な外国貿易に於て日本の商社は負けることになると主張する。しかしながら、ブラジルの為替管理制度がどのようであつたにしろ、日本としては自国の為替管理制度上弊害がある行為は矢張り禁遏しなければならないのであつて、これが為に日本の商社が国際競争場裡に於て不利益を蒙らうとも己むを得ないものと言うべく、他国との競争には別の手段に依り勝利を得なければならないから、これが為に預り円の支払はないことが期待可能性がないものと言うことは出来ない。

(2)  預り円は当然返すべき預り金であるから、その支払の指図があつた以上は、指図通り支払をしなければならないのは信義誠実の原則でもあり又商業道徳上の義務であつて、これを支払わないならば、日本商社は信用を失つてしまうと主張するけれども、外為法は決して支払うことを全く禁止しているわけでなく、外国為替管理令第一一条の規定に従つて所定の機関の許可又は承認を得て支払うべきことを命じているに過ぎず、これは決して不可能を強いているわけではないから期待可能性を欠くものと言うことは出来ない。

(3)  預り円を現実に送り返すには外貨予算が必要であるが、外貨予算は非常に少いので、その送金は必ずしも全部的に許可せられるとは限らない情況にあり、且つ昭和二九年当時は、外貨が非常に不足していた時期であつたから、円貨で日本内地で支払はないことを期待することは出来なかつたと主張するけれども、外貨予算が少い場合には予備費等もあり、又、閣僚審議会の議を経て追加の外貨予算を組むことも出来るのであるから(村西証人、大畑証人の証言)全く外貨送金の道がなかつたものと言うことは出来ないし、金商株式会社を除いては、許可を受ける手続をした事跡も見えないのであるから、外貨予算の不足を口実にして期待可能性の欠如を主張することも出来ないものと言うべきである。

(4)  金商株式会社については、特に外貨送金をすべく一年有余に亘り関係官庁に折衝したが送金許可の見通しがつかず、他方ゴンパーツ社からは、数度に亘り厳重な督促があり、且つ一度は幣貨切下の噂があるから至急支払つてくれとの依頼があつたので、国際的信用の失墜をおそれ、止むなく円貨で支払をしたもので、期待可能性を欠くと主張する。

確かに金商株式会社は他社と異り相当長期間に亘り外貨送金の努力を続けたことは証人高須賀不器の証言に依り認め得るところであり、その点は情状としては大いに斟酌すべきものと認めるに吝でないが、この努力をしたが為に期待可能性を欠くことになるかと言うと、直ちにそこまでは行くことが出来ない様に思われる。何故ならば、外貨送金の方法がなかつたからと言つて、預り円の処理方法が、円払する外全くなかつたものではなく、外為法第二三条外国為替管理令第五条、第六条に依り、非居住者預金勘定に預入れ、又は寄託、登録をする等の方途があつたことは、証人村西淳一の証言に依り明らかなところであるからである。尤も非居住者預金勘定への預入れは、それに先立つて非居住者の意思に依つて左様な勘定を設定しなければならなかつたのであるから、非居住者が果して左様な措置をとつたか否か若干問題はあるが、日本商社に於て非居住者の為に事務管理の形で、左様な非居住者預金勘定を設けることは出来た筈であるし、又日本の為替管理法が左様な建前をとつている以上は、日本商社としてはブラジル商社を説得して左様な措置に出させるべきであつたものと言い得るから、この方法をとり得なかつたと言うことは出来ないのである。尚寄託、登録等については、現実にはその手続効果等について何等具体的な定めがなく、従つて即座にその手続をとり得たか否かは若干問題があるが、預り円の発生が決して偶発的な一時的現象でなく、ブラジルの為替制度、その他商取引上の慣行等に依つて常に生じる可能性のある現象であつた以上は、商社としてはその処理に付き所轄官庁と協議すべきであつたものと言うべく、その場合には自ら寄託、登録等の規則も設けられたであらうから右の様な事情があつたからと言つて円払の外方法がなかつたものとして期待可能性を欠くものとは言うことが出来ないのである。

第四、預り円の発生原因及びその法的性質について

預り円の発生原因については、色々な事情が考え得られるところでありブラジル関係とインドネシヤ関係では若干の差異がある様である。

先づブラジル関係について見ると、(イ)ブラジルの外国為替管理制度が国外に於て外貨勘定を持つことを認めて居り、且つこれを奨励して税金を免除する等の優遇方法を講じていること、(ロ)ブラジルの外国為替競売制度(所謂アジオ制度)が売出す外国為替については千ドル単位で端数を認めていないこと、(ハ)ブラジルの輸入商者が需要者と別であり、商社は需要者に売渡す際の利得を見込んで需要者に信用状を開設せしめること、(ニ)ブラジルの輸入商社が自ら信用状を開く場合その取引の多くが所謂CIFCの契約であり商社の取得すべきコミツシヨンが含められていること、(ホ)ブラジル関係では領事査証制度があり、L/Cの金額とインボイスの金額は一致しなければ査証が得られないし、又荷為替手形もL/Cの金額と一致しなければ銀行が買受けてくれないこと等が預り円発生の一つの動機を為していること、(ヘ)輸入許可の時と実際の契約の時が離れている為に、その間に価格が下落したこと、(金商の場合)等に依るものであり、インドネシア関係について見ると、(ト)チエツクプライスの存在の為、(リ)現地側の思惑輸入の為等が考えられるわけであるが、其の他に尚故意に預り円を発生せしめる意図がある場合(或る国が複数レートを持つている場合、外国為替を安く買える品物の輸入の場合、沢山の外国為替を買つて契約以上の金額の送金をして置き、これを送り返して貰つて自由市場で高価に売却して差額を利得することもあり得る(大畑証言)而して此の事情はブラジルにもインドネシヤにもある様である。)も理論的には十分考え得られるのである。何故ならば預り円を置くことに依つて日本側商社は(A)優先外貨(特別外貨)の点(B)預け外貨との操作の点で種々の便宜が考えられるし又相手方商社としては (a)外貨割当の得られない品の輸入に使う (b)旅行の際の滞在費に使う(C)関税の逋脱をはかる等の便宜が考えられるからである。しかし本件の場合に於ては、検察官は格別日本側に於ても、相手方に於ても、故意に預り円を発生せしめたとの主張立証をしているのではないから、故意の場合は暫く論外に置き、預り円の発生は日本側商社の積極的行為に依るものでなく寧ろ相手国側の事情に依るとの各弁護人の主張は一応諒承してもよいであろう。本件の起訴は預り円の発生自体の責任を追及しようとしたものではなく、専ら預り円を非居住者の為に居住者に支払い、又当該支払を受領したことを外為法第二七条第一項第三号に違反し同法第七〇条に違反するとするに過ぎないから、預り円発生自体の事情は情状として斟酌する価値はあるが格別重大視するには当らないであらう。

然らば預り円の発生は日本側商社に於て防止する方法があつたのであらうかと言うことが問題になるが、この点は個々の発生原因ごとに考えなければならないわけであつて、一概には言い難いし又既に述べた様に、預り円の発生自体の責任を追及しているのでもないからこゝでは深く立ち入らない。

ところで預り円の法的性格如何と言うことも問題になるが、それは結局契約金額以上のL/Cが開設されL/Cに符合する荷為替手形の売却に依り、契約金額以上の金員が日本商社の手中に入つた関係上、その差額に相当する金額に付非居住者に対して返還すべき債務を負うている関係にあるから、外為法第二七条第一項第四号に所謂「非居住者との勘定の借記」に該当するものであり、従つて本来外国為替管理令第一一条第一項に依り所轄の機関の許可又は承認を得なければならないものである。故に、既に預り金として会社帳簿に記入する段階に於て外為法違反は一応形式的に成立しているわけであるが、検察官はその後に、現実に円の支払の段階迄進んだ時に、その円支払の行為を捉えて外為法第二七条第一項第三号に問擬せんとしたものである。

論者の中には預り円は貿易関係為替管理規則第一条第二項の過剰受領金に該当しないとか、又は預り円は外為法の規制せんとする目的外のものであるとかと言う前提の下に外為法第二七条第一項第三号、外国為替管理令第一一条に依り許可又は承認を得べきものではないとの主張を為すものがあるが到底採用し得ないところである。

第五、馬廼光の弁護人の主張について

坂本弁護人の主張の第一点は、被告人馬は起訴状記載の如く非居住者であるブラジル国スツセル商会外四名のために各商社から受領したものでなく、江商株式会社から受領したものは、香港に居住する馬の友人李潤堂の依頼により彼の為に受領したものであり、其の他の商社から受領したものは、馬が取締役の一員である香港のハンタイフオンカンパニー(以下香港雄徳公司と称す)のために、右会社のニューヨーク支店の指示に依り受領したものであつて、本件公訴は事実を誤認して為されたものであると言うにある。

しかしながら馬廼光の司法警察員に対する供述調書(9/10日附(三菱商事関係旧第一通商関係)9/11・9/12日附(金商関係、江商関係加藤物産関係)9/12日附)馬廼光のステートメント(9/9日附(三菱商事関係)9/7日附(旧第一通商関係)9/7日附(高橋愛次商店関係)9/7日附(江商関係)9/5日附(金商関係))馬の検察官又は検察事務官に対する供述調書(9/7日附(金商関係)1/26日附(高橋商店関係))等に依れば、馬は直接には香港の雄徳公司又は香港の雄徳公司のニユーヨーク支店からの指令に依つて、夫々日本商社から金員を受領することになつたことは窺い得るが、それは香港の雄徳公司、又は香港雄徳公司のニユーヨーク支店が、夫々ブラジル国スツセル社、ゴンパーツ社、リオ・インペツクス社、ヴイラデイアリシユタイン社等と密接な関係があつた為に、これらの諸社から依頼を受け、その事を馬に対して打明けた上、諸社の為に日本商社から金員を受取る様に指示したものであり従つて直接的には円の受取りは、指令又は依頼をした香港雄徳公司、同社ニユーヨーク支店の為にも為されたものと言い得べきも、その実質は前記ブラジル国の諸社の為にする支払を受取つたものであり、(馬廼光が受取つた円が、雄徳公司等の依頼指図に依り、外国からの旅行者の費用に充てる為に支払はれたことは決してブラジル国の諸社の為に受領したことと矛盾するものでない。何故ならばこれ等の諸社と雄徳公司等との話合いに依り一度諸社の為に受取つたものが更に雄徳公司等に移転せられることは可能であるし又支払の指図、依頼が諸社の指図、依頼を取次いだに過ぎないことも考え得られるからである)、その間の事情は馬は諒知していたものと認められるから起訴が事実を誤認して為されていると言う弁護人の主張は理由がないと言うべきであるし、仮に百歩譲つて馬の受領行為が香港雄徳公司、(同社ニユーヨーク支店)の為にする受領として為されたものとしてもそれ等の各社はいずれも非居住者であることは明瞭であるから、矢張り非居住者の為にする居住者への支払の受領に当ることは明瞭であり、外為法第二七条第一項第三号違反の責を免れることはできないことになるわけである。

尚江商関係に関する部分は、馬の司法警察員に対する供述調書及び同人のステートメントに依れば、江商とタイフアツトカンパニーの間の取引に関するクレームの様に見えるけれども、証拠物(昭和三四年証第三九五号の27号(支払指図書)30号(領収証受取通知書)31号(領収証送付案内書)28号(支払伝票)及び昭和三〇年八月二七日附司法警察員に対する神原武雄の供述調書。神原武雄に対する証人尋問調書に依れば、江商とエヌ・ヴー・シンドー社との取引に依り生じた預り円を、エヌ・ヴー・シンドー社と香港のタイフアツトカンパニーとの間の取引に依つてエヌ・ヴー・シンドー社がタイフアツトカンパニーに支払うべきクレーム金の支払いに宛てる為に馬に渡してくれとのエヌ・ヴー・シンドー社の依頼があつて、これを実行した関係にあるものであることが明瞭である(坂本弁護人提出弁第一号の手紙もそれを裏書きする)から、江商としてはシンドー社の為にする支払いであることは自明であるが、馬についてはエヌ・ヴー・シンドー社の為にする支払の受領であることを認識していたと言う直接の証拠はなく、寧ろタイフアツトカンパニー(その代表者は李潤堂)の為にする支払を受取ると言う意思であつたと認められる供述の記載が前記昭和三〇年九月一一日附司法警察員に対する馬の供述調書及び同年九月七日附馬のステートメント昭和三一年一月二六日附検察官に対する馬の供述調書中にある。そうすると支払う側の日本商社はエヌ・ヴー・シンドー社の為に支払うと言う気持であり、受取る側の馬はタイフアツトカンパニーの為にする支払を受取ると言う気持であり、そこに意思の不一致があることになるわけであるが、エヌ・ヴー・シンドー社が非居住者であると同時に、タイフアツトカンパニーも非居住者であるから具体的な商社は異つても非居住者の為にする支払の受領をすると言う意思には欠けるところがなく、結局犯意の抽象的符合はあるものとして取扱わねばならないであらう。蓋し外為法の企図する目的は非居住者の為にする支払の受領は一切禁遏せんとしているものであつて非居住者が甲であるか乙であるかに依つて取扱を異にする謂れがないからである。(尚前記仮定論は全部これと同じ趣旨で馬については責任を免れ得ないわけである)

次に第二の主張としては、馬には本件金員の受領について犯意がなかつたと言うけれども、犯意の内容とすれば非居住者の為にする支払を受領すると言う認識があれば足り、所謂違法の認識は必要がないし、少くとも職業として貿易に携つている馬としては外国為替の管理に関する基礎知識はあつたものと見なければならないところ(昭和三一年一月二六日附検察官に対する供述調書)非居住者の為にする支払の受領が原則として一切禁止せられていることは外為法第二七条第一項第三号に明瞭であるから、若しこれを知らなかつたものとしても知らなかつたことについて相当の理由があつたものとは言うを得ない。尚馬は香港雄徳公司の日本代表であるから、その指図に従わないことは期待可能性がないと言うけれども、違法行為についてまで指図に従う必要がないことは勿論であり、従つてこの点の主張も採用し難い。

第六、情状について

本件に於て情状を考えるに当つては、先づ支払者側と受領者側を区別して見る必要があるし、又ブラジル関係とインドネシヤ関係も若干の事情の相違はあり、更に各商社毎にも多少の事情の差があることを考慮しなければならないけれども、後の二者はそれ程重大なものでないから説明は省略し、支払者側と受領者側だけを区別して論ずることにする。

支払者側の日本商社について見ると、元来預り円の発生が主として相手方商社の事情に依存するもので、日本側商社としてこれを防止することは、不可能とまでは言い難いけれども、著しく困難であり、(大畑証人の証言)例えば契約を更改することに依つて預り円の発生を防止することは、信用状が到達する時期と船積の時期が接近している場合には貿易実務上はむづかしいし、又信用状の金額が契約金額を超過している場合、荷為替手形の金額を契約通りとして、信用状の不使用部分を残すことも、実務上は、為替銀行が信用状と一致しない荷為替手形の買取を渋ることなどに依り、又国際商工会議所の決定した荷為替信用状に関する国際統一規則等に依り容易に実行し難い等の事情があることが窺い得るから、将来の問題としては相手方商社に日本の外国為替管理制度を周知せしめることに依り或る程度防避し得るかもしれないけれども、既に発生した預り円については可成り同情的に見るべきものと思われる。

只この預り円の処理については、必ずしも時間的に切迫しているものではないから、日本側商社としても相当に研究し、且つ所轄官庁等にも相談した上合法的に処理することを志すべきであり、村西淳一証人の証言に依つても、大蔵省等は商社側より相談があればケースバイケースに適当な処理方法を教えるに吝でなかつたことが窺はれるからこの点について一応の努力をした金商の場合と他の商社の場合は若干の責任の差を考えてもよいであろう。

尚預り円の合法的処理方法について外国為替管理法の体系が著しく複雑難解であると言う点は大いに斟酌してもよいであろうし、又現在に於ては既に欧州に於ける外国為替の自由化の気運に即応して、我国に於ても自由化を目指して外国為替管理法の改正、簡素化が日程にのぼつていることも斟酌すべきであり、又経済界の実情から判断して、貿易政策的には最早現行外国為替管理法が企図する様な厳重な管理は必要がなくなつて居り、寧ろこの厳重な管理が外国貿易の発展について障害を為していると言う各証人の証言にも相当の根拠があることは認めざるを得ないであろう。

尚支払者側の日本商社について特に斟酌しなければならない事情としては、相手方商社から預り円を指定の人に支払うよう求められた場合に、これに応じない時は、商社としての信用を失うのみならず、他社との激甚な競争に於て敗北する外ないと言う弱い立場にあることであつて、この点は外貨獲得と市場開拓を生命とする貿易商社としては誠に同情すべき事情にあるものと言わなければならない。

尚起訴されたのは日本の代表的商社の一部に過ぎないけれども、同種の預り円は他の商社についてもあることは各証人の証言等から十分推測出来ることでありその間の均衡公平と言う点も考えないわけにはゆかないところである。

右に述べた様な種々の事情を綜合する時は、支払者側の日本商社に対しては法の威信の為に有罪として名目的な罰金刑は科するもの、その罰金刑は今回に限り相当期間執行を猶予するのが相当であると考える。

これに反し支払の受領者側である馬廼光については別途の考慮を要する。何故ならば村西証人の証言に依つて明らかである様に、若し預り円が取引の当事者である海外商社と日本商社の間に於て直接に授受されるだけであるならば、弊害は比較的少いけれども、その間に第三者が入ることに依つて、この第三者を介して大量に決済される場合には、前に述べた様な諸弊害が拡大強化された規模に於て生じる可能性があるのであつて、これは外国為替管理上到底黙視出来ないところであるからである。

本件に於ても証拠上香港雄徳公司のニユーヨーク支店を通じて、ブラジル商社が、香港雄徳公司の日本に於ける業務を代行していた日本法人雄徳物産株式会社の代表者馬に対して支払方を指図して来て、それに依つて馬廼光の手に集められた預り円は、更に香港雄徳公司の指図に依り諸外国からの日本への旅行者の滞在費等に支払われたことが窺われるから、馬廼光は半ば職業的に斯様な外為法違反行為を繰返していたことが明らかで、その責任は重大であるとしなければならない。従つて懲役刑及び罰金刑を併科するのが相当であるが、その中で懲役刑については初犯でもあり、今後更に同種犯行を反覆するおそれもないものと考えられるから、相当期間執行を猶予すべきも罰金刑については執行猶予は出来ない。

(法令の適用)

法律に照すに判示所為中第一乃至第五は外国為替及び外国貿易管理法第二七条第一項第三号前段第七〇条第八号第七三条に、第六は同法第二七条第一項第三号後段第七〇条第八号に夫々該当するところ高橋愛次商店、金商株式会社及び馬廼光については刑法第四五条前段の併合罪の関係にあるので同法第四八条を適用(馬については第四七条第一〇条を適用)して夫々別表(一)の(1)号の罪(高橋愛次商店の場合)別表(二)の(2)号の罪(金商株式会社の場合)別表(三)の(5)号の罪(馬廼光の場合)の刑に併合罪加重した刑の範囲内で夫々主文の通り量刑し尚馬の懲役刑及び各被告会社の罰金刑は夫々前記事情に依り執行を猶予するのが相当であるから刑法第二五条を適用して夫々主文の通り執行を猶予し、馬が右罰金を完納することが出来ない時は同法第一八条を適用して金二千円を一日に換算した期間労役場に留置すべきものと認める。

尚訴訟費用の負担については刑事訴訟法第一八一条第一項を適用して主文の通り負担させることにする。

よつて主文の通り判決する。

(犯罪一覧表 略)

(裁判官 熊谷弘)

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